本日のお題 【赤べこの牛鍋】
はい、どうも。戯ガエルです
今回の題材はこちら。
おっ、るろうに剣心だ!
実写映画にもなったよね
その中でも定番中の定番
【赤べこの牛鍋】
こちらをピックアップしてみました
ってことは、すき焼きか
ノン!
明治時代のすき焼き(牛鍋)は
一味違うんですよ!ウサギさん
ということで、その辺も含めて
剣心たちが食べていたであろう牛鍋を
再現していけたらと思います
【明治時代の食事情】
ねぇねぇ、明治時代って牛肉なんて食べてたの?
いい質問ですね!ウサギさん
日本の獣肉食の歴史によると
弥生時代の文献「魏志倭人伝」には
日本には牛馬はいないと記述されている
それまでの獣肉はシカ、ウサギ、イノシシなど
古墳時代に牛や馬が大陸から渡来する
馬は移動用、牛は食用や薬用。
だが、狩猟したシカなどのほうが一般的だったよう
仏教の観点から食肉が禁忌とされ、牛馬等の肉食が禁止
しかし、狩猟で得た獣肉に限って食用可能
(このあたりが牛肉を食べない一因のよう)
もともといない牛馬ではなくシカやイノシシが主流に
戦国時代に武士の台頭で食肉の禁忌が薄れる
が、やはり肉の主流はシカやイノシシなどの狩猟で得た肉
江戸時代末期、開国を迫られる中、訪日した大使に西洋料理を供したり
開国派の藩主などの意向で牛肉食が広まり始める
明治になり、文明開化の象徴として牛肉食が取り上げられ、広まっていく
引用元:Wikipedia「日本の獣肉食の歴史」
というわけで、まさに剣心たちがいた時代
文明開化の象徴が牛肉食だったわけですね
「すき焼き」ではなく『牛鍋』
さて、そんな明治のお肉事情を知ったところで
本日のお題の牛鍋の歴史についても
さらっといってみましょうか
江戸時代前期、「杉やき」という
魚介と野菜を杉の箱に入れて味噌煮にする料理があった
また、「鋤焼き」という
農機具の「鋤」を熱した上で魚や肉を焼く料理があった
牛肉が出回り、上記の調理法で食されるようになるが
①当時の肉は臭みが強かった
②薄切りにする技術が未発達だったので肉が厚かった
というような理由から
長ネギや玉ねぎと一緒に調理したり食したり
味噌などの調味料で軽く煮てから食すようになった
その後、技術の向上などもあり
現在のような
薄切り肉を割り下などの調味料で食す形が定着していく
Wikipedia「すき焼き」の項から抜粋
戯ガエル的判断基準として
“現代”の「すき焼き」と「牛鍋」の違いは
牛肉を焼いて食べてから野菜なのが「すき焼き」
最初から牛肉と野菜を一緒に煮るのが「牛鍋」
と勝手に区別してます
とまぁ、だらだらと説明をしていきましたが
そろそろ本日のお題「赤べこの牛鍋」の話に戻りましょう
「明治」の「東京」の「牛鍋」
それでは
戯画飯的「赤べこの牛鍋」の定義は以下の通り
- 明治初期、牛肉が一般的になって間もない
- 杉やきの派生料理のため、当初は味噌ベース
- 肉は薄切りではなく若干厚切り
- 臭み消しのためもあるためネギ類は多め
こんなところを踏まえつつ
実践編にてレシピと作り方を紹介していきます
それでは!
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